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『寺町から金沢を見守るヒーロー』

  • アラキ・コイケ
  • 2014年8月13日
  • 読了時間: 7分

一級建築士事務所むとう設計(有)/武藤清秀さん

私たちHRの初の建築家紹介は、むとう設計の武藤清秀さん。

武藤さんはHRメンバーのあんねんと昔から交流がある方ということもあり、今回、HR建築家紹介の一人目として、取材をさせていただくことになった。

さっそく、武藤さんに会いに、金沢市の寺町へ。

寺町はその名の通り、お寺が多く集まる町。日本の音風景100選*にも選ばれた歴史的な建物が多く残る由緒ある町だ。寺町の大通りを歩いていくと、むとう設計が見えてきた。

*午後6時になると、ひとつひとつのお寺から鐘の音が鳴り響く。

むとう設計の事務所は趣ある町家である。

私たち荒木と小池にとって初めての取材ということもあってその事務所の雰囲気に緊張しながらも、むとう設計の中へ。まず、玄関に活けてある花が私たちを迎えてくれた。

町家の中は一階が応接スペース。二階が設計室だそうだ。

玄関から延びる土間を横目に応接室まで行くと、

そこには気持ちの良い空間が広がっていた。その応接室の北東側に坪庭があり、落ち着いた光と緑がやさしく室内に入ってくる。

後の編集のために取材内容を録音しても良いかと確認したところ、

「声の調子を考えないといけないな。」と、笑いながら冗談をいう武藤さん。

そのような和やかな雰囲気の中、さっそく本題である取材をスタート。

最初に、建築家になると決めた“きっかけ”を聞いてみた。

■“金沢の地模様”を守りたい

武藤さんは高校卒業後、県外の大学に進学し、大学卒業後は県外の建設業界で働いていたそうだ。そのころはちょうど高度成長期のころ。金沢の市街地にもビルが急激に建っていった時代だ。

「建築の設計を本当に生涯の仕事としてやろうと決めたのは、20代半ばから後半のころだと思いますね。金沢に帰ってくるたびに、この生まれ育った寺町の台地から金沢市内を見ていてね、非常に街並みが乱れていくのを感じたんですよ。

大それた考えかもしれないけど、やはり一番景観として関わるのは建築なのかな、と。」

戦災に遭うことのなかった数少ない都市、金沢。昔の建物は、材料・色が整えられ、街並みには、建物による“地になる風景”があった。

“地になる風景”は金沢の街並みの背景となり、歴史的な都市の風景を形づくっていた。そのため、昔はビルが新しく建てられても、しっかりとしたその背景のお陰で、全体的に整った街並みができていた。

しかし、その背景が高度成長の時代の中、乱発して建てられるビルの所為で、徐々に虫食い状態になってしまったのだ。

金沢らしさをつくっていた“地になる風景”を武藤さんは“金沢の地模様”と言う。その模様を守りたいという想いから、武藤さんは建築家の道を目指すことを決めたそうだ。

現在、古い町家や茶屋の修復や修繕を行っているのはそのような想いがあったからだ。

ちなみに、25年前に建築家として独立した際に現在の事務所である町家を借りたのも、歴史的な価値のある町家を守りたいという想いからだった。

■武藤さんの使命

次に武藤さんにこれからの夢はあるかと聞いてみたところ、建築家としての視野を持って、もっと社会に関わってお手伝いしていきたいとのこと。

武藤さんは現在も寺町の商工会の幹事をしている。

「時間は取られるし、報酬も出ない。

しかし、社会と関わるということはとても、大事な仕事なんだ。

ボランティアというより、言い過ぎかもしれないけど使命かな。」

と話す、武藤さん。

まっすぐ新聞は、2013年〜2014年に発行された寺町の空き店舗情報を載せたフリーペーパー。武藤さんをはじめとした寺町台商興会のメンバーとHRのあんねんが作った。そして発起人はやはり武藤さんだった。

武藤さんのアイディアで空き家情報を載せた新聞のおかげで、現在、学生や社会人のオフィスが寺町に誕生している。

■ちょうどいい町、金沢

長く金沢で過ごし、金沢に対する想いも人一倍強い武藤さんに、金沢の魅力についても語ってもらった。

『金沢の好きなところはね。広さとか規模がちょうど良いところ。最適だ!っていうところだね。』

詳しく聞いてみると、例えば、東京では目的地が同じじゃなければ、知っている友達と街中ですれ違うことはほとんどない。逆に小さすぎる町だと、飲み屋や食堂、どこに行っても知っている人ばかりで息苦しい。

そういう点で金沢はちょうどいい規模の町。街中を歩いていると、1人か2人には偶然会えるような。

また、金沢の旧市内ならどこにでも歩いて行くことができるということも魅力だと語る。

金沢に住んでいるアメリカ人も同様に、金沢のことを「best size !!」と言っているとか。

■もう一つの夢

『それと、もう一つは海・山・川が身近に、程よい距離にあって、何かしようと思った時にすぐに行ける。そういう自然の恩恵にもあずかっている。』

確かに金沢には犀川・浅野川が流れおり、医王山、卯辰山、野田山にといった山々に囲まれている。

ここで、話は武藤さんの趣味である山スキーの話へ。そしてそこから武藤さんの目が輝きだす。山スキーとは自分の足で山を登り、滑り降りてくるものだ。

そんな武藤さんがおすすめする山は白山。なんでも、取材当日の前の週にも白山で山スキーをしてきたとか。2702mもの山を日帰りで滑ってきたそうだ。白山の山頂からのパノラマ写真を楽しそうに見せてくれた。そこには広大な景色が拡がっていた。

来週にはなんと日本一の山、富士山に挑むそうだ。世界中の山を滑ることが武藤さんのもう一つの夢である。

■アジアの国々と“屋根”

他にも旅行が好きだと言う武藤さん。

国内外問わず様々な地域に訪れているそうだ。海外の中でも多く訪れているのはアジアの国々。タイ、ラオス、ブータン、ネパール、インド、シンガポール、マレーシア…

これらは仕事の調査依頼がきっかけとなり、趣味で何度も旅行をしているとか。旅先での写真を見せてくれた。ネパールからブータンへ向かう機内から撮影したエベレストである。

そして、建築の話題へ。

タイやインドネシアなど東南アジアの国々の寺の屋根は反っていて、それが北へ行くほど反りが緩くなっていくそうだ。屋根の形は国によって様々であり、その国の気候風土をよく表している。

特に日本は軒先、屋根の先にものすごいエネルギーと技術を使ってきたという。確かに伝統的な日本建築の縁側などの空間はとても魅力的だ。これは雨が降る地域の中でいかに雨と付き合っていくか、という考えの中で生まれたものなのである。

日本で家をつくる以上こういったことを大切にしたい、という武藤さん。

■“風呂敷”のような家をつくる

武藤さんには住宅づくりに対してこのような想いがある。

『一つはやっぱり、住宅の主役は人間だっていうことかな。

 あとは、機能を限定した、“カバン”みたいな家じゃなくて、なんでも包み込めるような“風呂敷”みたいなイメージで家をつくっている。』

昔の日本の町家は、空間はあるが機能を限定していない。

まさに“風呂敷”のような家だ。だから、使う人住む人の知恵でどうにでも変えることができる。そのような住宅を武藤さんは目指しているのだ。

しかし、こだわりが強すぎるあまり、家に趣味的なものを求めるお客さんも多いそうだ。

そして、その趣味をやめてしまった時に使われなくなってしまい、壊される、そのようなケースも少なくない。

武藤さんは、そのようなこだわりの強いお客さんでも、お客さんの要望に出来るだけ応えつつ、

住みにくくなってしまうような要望には、専門家・建築家として、

アドバイスし、形にしていきたい、と考えているそうだ。

応接室を出るときに武藤さんがこんな話をしてくれた。

以前この部屋は座卓と座布団が置いてあったが、お客さんがあまりにもリラックスしすぎて、その場で寝てしまったことがあった。

そういうわけで、現在はテーブルとイスが置いてあるそうだ。

確かに、この応接室の空間は落ち着いた空間であった。

だが、お客さんが寝てしまうほどリラックスできるのは、武藤さんのおおらかな人柄がなせるものではないだろうか。

寺町(たまに白山)から金沢を見守るヒーロー的な存在の武藤さん。

困った時には風呂敷をマントにして飛んできてくれることでしょう。

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